また、やたら重い話題ですが、先日の各電力会社の株主総会と原発再稼動申請についてあまりに憤ってしまったのでここに書いてみる。
つまり、
原発再稼動への怒り=自分自身が変化出来ていない憤り
なのかなと感じた。
私自身、原発について、今の段階?ではコントロールが難しく、とても今の組織やモラルの現状で動かせるものではないと、反対論者。
そして先日の再稼動申請の報道。すごく怒り、憤りを感じた。新聞やテレビの報道の仕方がそうであるということが原因の一つかもしれないが泣きそうになった。大きな力?(お金、権益、安定?)にまた、モラルが負けるのかなあと。
でも同時に気付いた。
自分自身が変われていないから、こういう事態になるのではないか?
先日のブログでも書いたが、集団的無意識のような力が働き、どこか原発を許容する心の隙間がこの事態に発展しているのではないか?
ほとんど妄想のような話であるけど、自分自身がほんとうに自立して、変わることができない限り、今問題であるという思う気持ちは変わらずに存在し続けていくと思う。
「対処療法と根本療法」
この点で考えるとすごくわかりやすい。目的と手段に近いのかな。
スケール違うけど2つのことで考えてみた。
一つはもちろん電力会社。
・対処療法
原発を再稼動することでとりあえずの経営の安定を図り、たまり続けるプルトニウムなども再利用したい。しかし、その後の放射性廃棄物の処分方法は未定。←それどころか事故以降、最終処分場の選定はこれまで以上にすごく難しい。というか不可能??しかし、これを選ぶ現状。行き詰まりが容易に想像できるのに、これを選ぶまさに対処療法。
・根本療法
再生可能エネルギーを主たる資源とし、各地域における小規模発電を運営。商売としては成り立たなくなるが、自身がいなくなることを目標に動くという仏のような存在。もちろん、原発は廃炉へ向けて多大なコストを要するがこれまで運営を容認してきた責任として国民全体でそのコストを負担。やはりシステム(お金も含め)とメンタルの変化がないと起こり得ない根本療法。
一つは農業 ←私自身が変われていないと思う理由
・対処療法
言わずもがな、農薬や化学肥料。そして石油製品。農家(私自身)は経営の安定を図るために、今日のお金を得るために、農薬や化学肥料に頼り、作物を生産する。しかし、そこから生まれた産品は見た目はきれいでも、よくわからない薬品がかかっていたり、硝酸体が高く腐敗が進みやすい、体を健やかにするという役割が疑われる商品を作っている。
寺田本家の発酵道を引用させてもらうと、
「会社も我が家も人の不幸の上に成り立っていた」
自分自身にぐさりと刺さった。
お金儲け、安定、生活のために、やはり対処療法を繰り返していたと思う。
・根本療法
有機・自然農法への回帰。自然本来、作物本来の力を信じ、大量生産することを主とせず、質を高めることに重きを置いた生産活動。そして人の健康に寄与するような作物を作りたい。
最終目標はお金ではなくて、やはり心の平穏なのかなと思う。
だからこそ原発問題の憤りは、実は自分自身が変われていないことへの憤りなのかなと感じた。影響を及ぼす規模もステージもけた違いだけど。
だけど、私自身がこれにむかって一歩づつでも踏み出すことが、自分、家族、地域、ひいては社会にまで影響するのだろうと確信する。
余談ですが他にも対処療法・根本療法ということで考えると
健康(医療) 食 栄養学 田舎の獣害 地域の行政 教育 補助金のあり方 、、、、etc
あらゆるものに人は場当たり的な対処を施してきたかがわかる、逆を言えば、根本を見ること
ができれば、解決方法をスムーズに実行できる???
対処療法を繰り返し、破綻へと進んでいるように思えるが、この破綻というものも一つの救済なのかなとも考える。ほんとうに人の手ではどうしようもない状況に陥った時、そこになにかが見えてるのかもしれない。
コメントをお書きください