日本国民としての認識について

なんと読書する前に本の画像を上げるという荒技に出ました。

最近話題の憲法というものに関心を持って調べていると

橋爪先生の憲法についての授業や小林先生の「そもそも憲法とは?」ということを改めて勉強でき、とてもよい機会になったなと思いました。

自分のこれまでの憲法というものについても思いは、法律の一番大切なやつくらいにしか思っていませんでした。

法律の上位の概念のことなのかなぐらいなものでした。

 

しかし、いろいろ勉強してみるとそもそも憲法の役割というものは為政者の権力を縛るものであり、国民が守るものではなく、権力をもつものに守らせるものであるということをおそらく、はじめて認識しました。

しかも、その守らせることに対する罰則はなく、私たち自身がそれを守っているかどうか監視していく必要があると、、。つまり、自分自身でこの国を治めているという認識を持ち、権力者を憲法によって縛ることをしない限り、憲法というものはその効力を発揮しない!ということなのです。

 

憲法というものをこういう捉え方で考えてことがなかったことはもちろん。

自分自身で日本を治めている。

 

自分自身が国家の主権である

 

と認識したことが、今まで、あっただろうか?いつも、政治が悪い、社会が悪い等、自分以外の誰か全く別の人が治めている、この国の一平民として、ものを考えていました。

 

それに伴って3つに気付きがありました。

 

一つはお田植え祭でもお世話になった通潤橋。その橋をかけた布田保之介翁の人生訓

 

     「勤労、勤勉、自治」

 

という言葉。勤労、勤勉はそのままの意味捉えたのですが、その時、自治とはいったいなんのことだろう?と考えてしまいました。

しかし改めて思い返せば、上に書いたように、この「自治」というキーワードが憲法認識であり、国家の主体であるという意識に違いないと感じました。これから最も重要な要素になると思いました。

そしてこの人生訓はそのまま私の人生訓にさせていただこうと考えています。

 

二つ目は、農協理事の藤木さんの講演を聞いて、政治もやはり、自分たちと同じく不完全である生身の人間が行っている。ということを改めて感じました。やはり自治。自ら政治を動かすという意志をもって動けば、実際に変えることが出来るものが政治である。身近なものであるということを気付かせていただきました。

 

(こぼれ話ですが、メディア自体が監視するべき社会現象と言った人がいたが、やはり政治も同じで、自分と同じく不完全な生身の人間がおこなっているものである)ということを認識し、国家の主体であるという意識で行動しなければならないと気付きました

 

三つめは、最近話題の憲法解釈の話ですが、私ですらこの憲法論にたどり着いたわけですから、一内閣が憲法の解釈を勝手に変えてい良いということは、まずない気がします。
憲法9条とかいう問題ではなく、権力者を縛る憲法を、勝手に解釈を変更し、その縛りを権力者自信が取り去ることは、刑法を犯罪者が勝手に変えることと等しく感じます。

 

つまり立憲主義が破綻してしまうのではないのでしょうか。

 

ですから今の首相の行動をとても好意的に解釈すれば、

あまりに憲法の認識のない国民にちょっと過激な手段だけど、解釈を勝手に変えるという脅しを使って、嫌でも勉強させるということを作戦としてやってんんのかなあと。。

(誰かにお人よしすぎる)と言われましたが、

 

とにかくしっかり見張って、動いていかなければなりませんね。

 

ここでひとつ謝罪を地元のイチゴの先輩へ。

これまで国家観・自治という意識がまったく無いなかで、

 

「他国からの侵略があった場合おまえはどうする?」ときかれ、

 

「逃げる戦わない」という答えをいってしまいました。

 

ですが今は大きく考えは変わりました。戦争は絶対にしたくないということは変わりませんが、自立、自治という観点をもてば、戦争を避けるためにも、戦う力を持つべきなのかなと考えます。

 

以上、最近立て続けに「自治」というキーワードで国ということを考えてみました。

 

だから今度は表紙の本を読んだ後にまた感想が書ければと思います。

 

+3次元的思考法などいろいろ書きたいことはありますが、、又今度!!